Cornelius - New Music Machine

はぁい。

先ほどの記事の続きです。。



最近、私の頭の中で不意打ちでヘビーローテーションで流れる曲。

Cornelius の 『New Music Machine』

Cornelius - New Music Machine


たぶん私が学生時代だったと思う。

まだ21世紀がずっと未来の事の様に思えていた頃。

色んな事(主にサブカルチャー)に関心があった私が出会ってしまった曲。

そして強烈な歌詞。




New Music Machine
2001年にNASAが作りだした

New Music Machine
2010年になんか全部壊れ出した




色んな曲を聴いていたのに、今ふいに思い出すって事は相当脳みその奥に刻まれていたんだなぁ~って。

大学生の頃、講義でこんな話を聞いた。



『芸術はパトロンがいなくては発展しない。』


優れた作曲家が居ても、優れた奏者が居なくては誰もそれを聞けない。
優れた奏者が居ても、その奏者が各地を公演して回らなければその音楽は広がらない。
それには莫大な資本が必要である。

それは再生産が簡単で無いからだ。


西洋での文化とは、資本を持つパトロンによって残されて来た。



この話を聞いて、私は色んな本を読むことになる。
(当時はウィキペディアとか無かったのでね・・・・・。)

1877年
エジソンが円筒に音溝をつけて音を記録するという画期的な発明をする。
記録媒体が紙しか無かった時代。【視覚】ではなく【聴覚】を記録する装置。
流石エジソン!!

1887年
エミール・ベルリナーが円盤型のレコードを発明する。
エジソンが特許を取っていたため、それの対応策。
結果的にその後のレコード・CD・DVDのひな型となる。
円盤型って実用的!でもエミールさんあんまり有名じゃない・・・・・。

1948年
コロンビア社から12インチのレコードが発売される。
それ以前のレコードよりも格段に再生時間が伸びたことでLP(ロングプレイ)と呼ばれる。

1979年
フィリップ社とソニーがCDの共同開発を開始

1982年
CDの生産を開始




LP・CDの開発によって音楽の再生産は容易になり、音楽活動をするものに多くのチャンスが生まれた。

*アメリカにおける音楽の多様性。JAZZ、BULUES、ROCK、POPMUSIC、PUNK等のソフト面の変化は省略します。あくまで商業としてのハード、インフラの話です。



日本でも1990年代の「ミリオン時代」を知っている方は商業としての音楽を凄さを知っていると思います。

1995年
Windows95の発売。
インターネットが誰にでも簡単に使える生活ツールとなる。


そして21世紀
CDという媒体はインターネット上のダウンロードという媒体に押しやられ販売数を年々落とし続ける・・・・。


レコードが発明される以前より良いとは言っても音楽の経済成長とバブルが終わった。
歌詞の通りではないが
New Music Machineの登場でOid Music Machineは壊れてしまったのだ。




「インターネットで世界が変わった」

という言葉を使う人がいる。
確かに、世界の情報流通が激変したのは事実。

しかしそれは、あくまでも物差しでしか無く、本質は世界の技術や価値観、生活が激変してしまっている。



現在の世界の経済、技術の成長は後発国の成長と相まって加速度的な勢いを帯びている。

『豊かに生きたい』
それは日本人以上に、これまでスラム街や難民を抱えていた国、植民地支配を受けていた国にとって切実な願いだと思う。




しかし、【人は地球の力にに勝てない】これが、私たち日本人がどの国よりの痛感した事だろう。

オバマ大統領がアメリカ海軍出航式での演説の一部

諸君がまもなく赴く戦いは、人類史上最強の救出活動となるだろう。そう、人類史上最強の・・・・
人類・・・・・この言葉は、今日、我々全員にとって、新たな意味を持つ。
地球に対する今回の暴虐行為に少しでも意味があるのなら、それは我々人類が共有するものの大きさに気づかせてくれた、という点につきるだろう。
今回の侵略は、この惑星で共に生きるのがういうことかを、新たなる視点から見直させてくれた。
人間同士の無数の差異など瑣末事でしかないことを痛感させ、共通の利益というものの意味を実感させてくれた。
そしてさらに、歴史の方向を変え、人間であることがどういうことかをも定義し直してくれた。
今日このときより、世界の諸民族と諸国家がいかに深く相互に依存しあっているかを、我々は決して忘れることがないだろう。




まさに「今」がターニングポイントだと感じる人は多いと思う。
というより、私はそう思う。

いま私たちが感じる不安は今後の生活ではなく、今後の変化への不安ではないだろうか?

変化へのかじ取りが正しく出来るだろうか?

そんな不安。
たいして頭も無い私ですが、一つ思う事がある。



音楽もいくら音源を落としても。CDで聴いても。

生で聴く

『そこにしか無い』『その時しか聴けない』

刹那の感動に勝るものはない。


人類は自然界のルールから外れてしまった存在かもしれない。

しかし人間は協力い合い、技術を使い、倫理と道徳をもって栄えてきた種族のはず。

何億年経っても地球がいつまでも生々しい存在である様に、

リアルな音楽が生々しくある様に、

人間もまた生な生しくていいと思う。



ただ、【人間として生々しく生きる】その価値観を問われているのが今ではないか?


2011年に何かなんか全部壊れ出した


にしてはいけない。









乱筆乱文ごめりんこ。



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この記事へのコメント
久しぶりに熟読してしまいましたわん(・ω・)

またよろしく!
Posted by 脱・坊主 at 2011年04月28日 01:07
>脱・坊主様
今夜は市場行けそうにありません。
最近、凄まじいアクシデント起こりました。。。
詳細はまた・・・・・。
Posted by コルクコルク at 2011年04月28日 15:46
気になる…!!
では近々伺います(^O^)
Posted by 脱・坊主 at 2011年04月30日 00:10
>脱坊主様
現在、いかに楽しい事を増やすか考え中です。。
Posted by コルクコルク at 2011年05月03日 16:29
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